ふと思ったんだけど、ピザって昔は「外国の食べ物」だったよね?パーティのときぐらいしか食べない、ちょっと特別な存在。なのに最近は、気づいたら「今日の晩ごはんピザでもいいか」くらい日常に溶け込んでる気がする。
特に宅配ピザ。もう“特別”感なんてどこへやら、週末のご褒美とか仕事帰りの「楽したい飯」になってる。これ、文化の変化って言えるんじゃないかな?って思う。
ピザはグローバルに変化する食べ物らしい
イタリア発祥のピザ、そもそもは超シンプルだったんだよね。トマトソース、モッツァレラ、バジルのマルゲリータとか。それがアメリカに渡ると「シカゴピザ」とか「ニューヨークピザ」みたいに分厚くなったり、逆にでっかくスライスしてファストフード化したり。
面白いのが、世界各国でピザが現地仕様に進化してること。トルコならピデって呼ばれる細長い形のパンっぽいものがあったり、韓国は甘辛ヤンニョムチキンピザが人気だったり。ブラジルではピザにグリーンピースが大量にのっていたり、インドはスパイシーなカレー風味が当たり前。国ごとに「うち流のピザ」がしっかり存在してるのが面白い。
なんなら「ピザって国境を越えて生き残った最強のジャンクフードかつ家庭料理」なのかもしれない。気軽で自由で、どこでも受け入れられて、それぞれの味に変化する懐の深さ。もはやピザそのものが“文化融合”のシンボルだと思う。
日本の宅配ピザは“和ピザ”の宝庫だった
じゃあ日本はどうか?ってなると、宅配ピザ文化がめちゃくちゃわかりやすい。
照り焼きチキン、明太もち、カニマヨ。シーフードミックスも定番だし、味噌ソースのピザも普通に人気。イタリアンのレストランじゃ絶対見ないトッピングが、宅配ピザのメニューでは“主役”になっている。
一度メニュー表を眺めると、そこには日本の「好き」が凝縮されてる。「甘じょっぱさ」「コッテリ感」「海鮮」「和風だし風味」…それ全部ピザに乗っけちゃえ、って感じ。最初は“邪道”って言われたのかもしれないけど、今は逆に“これぞ日本のピザ”として受け入れられてる。
それもそのはずで、日本の家庭料理って基本的に「アレンジ上等」「好きなもの全部のせ」の文化だもんね。ピザの自由さが、日本人の食の感覚とすごく相性が良かったんだと思う。
パーティ飯でも一人飯でも:ピザは自由の象徴になった
さらに最近は「ピザ=パーティ飯」ってイメージも薄れつつある。ひとり用サイズが増えて、冷凍ピザもバリエーションが爆増して、コンビニでもスーパーでも手軽に買えるようになった。
しかもクオリティもかなり上がってて、冷凍ピザなのに生地はもちもち、チーズはとろける、ちょっと焼き足せば「店じゃん?」みたいな味になる。宅配でも「一人前セット」「持ち帰り半額」みたいなメニューが目立つようになった。
気が付けばピザは「みんなで分け合う特別食」から「ひとりでも気楽に楽しめるカジュアル食」へと進化した。これもまた、日本の生活文化にピザがフィットした証なのかも。
ピザから考える“文化の馴染み方”
ふと思う。宅配ピザがこんなに日本に根付いたのって、たぶん「押し付けられた文化」じゃなくて「楽しみながら馴染んだ文化」だからじゃないかなって。
誰も「本場の味を守れ!」なんて言わないし、「こうじゃなきゃダメ!」もない。むしろ「美味しければ何でもアリ」で育ってきたのが、日本のピザ文化。
異文化を“特別なもの”として扱うんじゃなくて、日常の一部にして、自分の好きな形で取り入れる。ピザはその象徴だと思う。ガチガチの文化論とかじゃなく、日常のご飯から「へぇ、文化って面白いな」って気づけるのって、なんかいいよね。
だから今日も気軽にピザ頼んで、自分の好きな味を楽しめばいいんだと思う。食べたい時に、好きなように。ピザってそういう自由の象徴なのかもしれない。